2015年4月5日

スカラシップ2014下半期レポート ラモーナ・ツァラヌ

一年間、王子小劇場に通って考えたこと
ラモーナ・ツァラヌ

佐藤佐吉演劇祭2014+の全演目を含め、この一年間王子小劇場で観劇した舞台の数は19演目だった。落語、ミュージカル演劇、口語演劇など、色々なジャンルの舞台の観劇ができ、スカラシップによる支援をいただいたことに大変感謝している。
 よく考えれば、王子小劇場という三次元の空間の中で観客として本当にどこでも座ったことがあると思う。王子で観劇に来たことがある方はみんなお気付きになったと思うが、王子小劇場は黒い「箱」のような形をしており、公演によって客席の位置が変わるのだ。たまには舞台に立っている人を見仰ぐことになっており、たまには逆に高い所から芝居を見ることになる。芝居が真ん中で展開していて、向かい側の観客の表情がやむを得ず視野に入ってしまう時もあり、観客が観客を見ることになったりする。このような時は意外な緊張感が生れ、観劇とういう行為そのものの面白さに気付くのだ。この空間の柔軟さからいえば、小劇場演劇の作品なら、王子小劇場は何でもを可能にする「魔法の箱」だといえる。
 この空間の中で、今まで名前さえ知らなかったたくさんの劇団に出会った。殆どの場合、とてもいい出会いだった。そして毎回考えるのは、王子小劇場に毎月通うことがなかったら、たくさんのいい舞台との出会いがなかった。筆者は能楽の研究を専門としているのだが、日本の演劇をよく観る機会に恵まれ、ある時から日本の演劇界をよりよく理解できたらいいと思うようになった。その理由は、日本演劇の世界は独特な環境だと思うからである。
 まず、現在日本で演劇活動に取り組む人の数からいえば、特に東京周辺は世界で一番演劇人が多いと思う。プロとアマチュアの間の境界線が曖昧なこともあろうし、あくまで人数の話だが、演劇界を現象として見るに当って、尋常ではないその人数を見捨ててはいけない。
 それに加えて、日本の芸能史の長さも現代の演劇環境に大きな影響を与えていると思う。世界のどこでも古代から芸能があったのだが、室町時代の能楽や江戸時代の歌舞伎が見せるような発展は他所では見られない。芝居をやっている人たちがいただけではなく、彼らの活動を支援していたパトロンがいて、そのおかげで作り手たちの活動のスケールは当人者の想像も高く上回るようになった。古くから現在まで残った芸能論、演出に関する資料、解説書や上演記録などがそのスケールの大きさを伝える。ちなみに、券を買って、それで芝居を見に行く制度が導入されたのは、江戸時代の大阪の芝居小屋が世界で始めてだったそうだ。
 遠い昔からしっかり根付いた芸能環境や作法があったからこそ、近代化の後援者がここで西洋風の新劇を導入しようとした時にどれだけの抵抗に向き合ったかよく知られている話なのだ。能楽や歌舞伎といった大きなジャンルを含めて、日本の伝統芸能は危機に立ち向った。新劇の導入後、伝統芸能が無事に立ち直り、現在でも盛んであることも注目すべきだ。
 このように見た日本の演劇環境は多様性に溢れ、とても速いスピードで代わり続ける世界である。この環境は独特のダイナミックがあるからこそ、ここでしか見られない現象があり、ここでしか生じえない問題があると思う。この一年間王子小劇場に通い、色々な劇団の作風に触れる機会があり、作品の内容よりも、各団体がどうやって活動しているかについてもっと知りたくなった。例えば、劇団に所属している俳優もいれば、フリーで活動している俳優もいる中で、どちらがより活動しやすいのか?「劇団」の形を取らずに、プロデュース団体として一つの公演を作るに当り、出演者や製作スタッフをどうやって集めているのか?劇団の場合、法人として活動する団体は少ないように見えるのだが、あえて法人化しない道を選ぶにはメリットがあるのではないかと、気になる。
 そして、一つの舞台を制作するために、助成金を申請するか、自費で公演を作って、チケット販売で制作費をカバーしようとするか、といったような選択肢があるだろうが、それぞれにもメリットとデメリットがあると思う。演劇作品のために助成金を与える機関はどのような基準で支援する公演を選ぶのか、作り手はその機関の方針にかまわずに自由に自分の作りたい演劇が作れるのかなど、いくつかの問題が現れる。
 各団体の規模や志によっていくつかの活動パターンがあるのだが、それぞれのパターンは互いにどのような影響を与え、どのような環境を作っているのか、考える意義があるだろう。日本の演劇界全体のダイナミックを把握するのはもちろん無理な試みだろうが、この環境の変貌はここで生れる演劇や創造的な可能性につながるのだ。これからも演劇人の活動自体に目を向けて、色々な種類の演劇を観たいと思う。

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