2011年12月17日

「一九一一年」関連資料

2011年12月16日〜20日、王子小劇場で公演中、
劇団チョコレートケーキ一九一一年」は
ちょうど100年前の「大逆事件(幸徳事件)」[wiki] を題材にしています。

当日公演で配布されている、当日パンフの配役表、語句説明や資料、
を元に、ウィキペディアへのリンクなどを入れた記事を編集してみました。

史実を元にした作品なので、ネタバレになる可能性がある部分、作品のラストや登場人物のその後に言及した部分、もあります。
観て興味を持った方、観るのに迷ってる方、などへ。

作品自体は、歴史的知識・予備知識を問わず、
それぞれにお楽しみいただける内容になっていると思います。
若干の歴史背景を思いつつ、観劇すると、より深く楽しめるかもしれません。


演劇作品としては、平田オリザ「ソウル市民」で描かれるのが、1909年の夏。
韓国統監府初代統監・伊藤博文が暗殺されるのが、1909年10月。
大逆事件で、幸徳秋水・管野須賀子らが検挙されるのが、1910年6月。
日韓併合条約の調印が、1910年8月
大逆事件大審院第1回公判が、1910年12月
判決と刑の執行が、1911年1月。
ジャッキー・チェンによる映画「1911」[wiki] の題材は、
1911年10月に勃発した辛亥革命 [wiki]
(〜1912年、2月清朝最後の皇帝、宣統帝・溥儀の退位)




【潮恒太郎】(うしお・つねたろう/1865〜1919)
1911年、大逆事件当時、東京地裁判事。
シーメンス事件でも予審判事をつとめた。
のち大審院検事。
■「一九一一年」演:岡本篤(劇団チョコレートケーキ


【横田国臣】[wiki](よこた・くにおみ/1850〜1923)
1911年、大逆事件当時、大審院院長(1906〜1921)。
15年間の在任は、歴代院長の中で最長在職期間(戦後の最高裁判所長官もふくめて)。
■ 「一九一一年」演:青木柳葉魚(タテヨコ企画


【鶴丈一郎】 (つる・じょういちろう/1858〜1926)
1911年当時、大審院判事(1898〜)。大逆事件本審裁判長。
司法省法学校第二期生の同期に、末弘厳石、松室致。
同期中退者に、のちの内閣総理大臣 ・原敬がいる。
■ 「一九一一年」演:古川健(劇団チョコレートケーキ


【末弘厳石】(すえひろ・げんせき/1858〜1922)
1911年当時、大審院判事。大逆事件本審判事。
豊前・宇佐(大分県)出身。
長男、末弘厳太郎 [wiki](すえひろ・いずたろう/1888〜1951)
は、民法研究に多くの業績を残し、労働法学の創始者にして法社会学の先駆。
■ 「一九一一年」演:三上晃司


【武富済】[wiki](たけとみ・わたる/1879〜1937)
1911年当時、東京地裁検事局・検事。
日糖疑獄で、家宅捜査や贈収賄者の取調べを担当。
内外石油疑獄では、小原直と共に事件を担当。
1912年、弁護士となり、東京弁護士会常議員会議長。
1924年、立憲民政党公認で衆議院選挙に立候補、初当選〜連続5期。
1929年、小選挙区制法案に反対し、5時間30分にわたる長時間演説を行う。
■ 「一九一一年」演:浅井伸治


【小原直】[wiki](おはら・なおし/1877〜1967)
1911年当時、東京地裁検事局・検事。
1914年、シーメンス事件で主任検事を担当。
1927年、田中義一内閣〜濱口・犬養・斎藤内閣(〜1934)で司法次官。
1934年、岡田内閣で、司法大臣(〜1936)。在任中に、二・二六事件が起きる。
1939年、阿部内閣で、内務大臣兼厚生大臣。
閣僚退任後、弁護士業を開業。
昭和電工事件(1948年)で、迫水久常の弁護を担当する。
1954年、第五次吉田内閣で、法務大臣 。
■ 「一九一一年」演:佐瀬弘幸(SASENCOMMUN


【松室致】[wiki] (まつむろ・いたす/1852〜1931)
1911年、大逆事件当時、検事総長(1906〜1912)。
その後、第三次桂内閣(1912〜1913)と寺内内閣(1916〜1918)で、司法大臣。
貴族院議員・枢密顧問官を歴任。
1913年〜1931年まで法政大学の学長をつとめた。
■ 「一九一一年」演:林竜三(青☆組


【平沼騏一郎】[wiki](ひらぬま・きいちろう/1867〜1952)
1911年当時、検事。
大逆事件の後、第二次西園寺内閣で司法次官。
1912年、検事総長に就任。
1923年、第二次山本内閣で司法大臣に就任。
枢密院副議長、枢密院議長、を経て、
1939年内閣総理大臣に就任。
平沼内閣(1939/1/5〜8/30)は、日独軍事同盟の締結交渉を進めていたが、
独ソ不可侵条約の締結により、総辞職。
戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯として訴追され、終身刑の判決を受ける。
■ 「一九一一年」演:谷仲恵輔


【平出修】[wiki](ひらいで・しゅう/1878〜1914)
1911年当時、与謝野鉄幹からの依頼で、大逆事件の弁護を行う。
1903年、明治法律学校(現在の明治大学)卒業。
1905年、弁護士を独立開業。
「明星」に短歌・俳句・評論も発表しており、
与謝野鉄幹、森鴎外、石川啄木とも親交があった。
大逆事件は、これらの文学者にも影響を与えた。
■ 「一九一一年」演:菊池豪


【山縣有朋】[wiki](やまがた・ありとも/1838〜1922)1911年、大逆事件当時、元老(1891年〜)。
幕末期、長州で松下村塾門下から、高杉晋作が創設した奇兵隊の軍監に就任。
戊辰戦争では北陸道鎮撫総督・会津征討総督の参謀。
明治政府では、二回の内閣総理大臣(1889年・第三代、1898年・第九代)ほか、
内務大臣、司法大臣、日露戦争で参謀総長、など。
元帥陸軍大将。
軍事専門家として、軍部・政官界に幅広い人脈を築く。
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」演:江守徹
■ 「一九一一年」演:山森信太郎(髭亀鶴)


【管野須賀子(管野スガ)】[wiki](かんの・すがこ/1881〜1911)
1911年、大逆事件の被告として、刑死。
19歳で、東京深川の商人小宮福太郎と結婚。
離婚後は作家・宇田川文海に師事、「大阪新報」の記者をする。
のち、平民社の堺利彦の紹介で和歌山県田辺の牟婁新報社に入社。
1907年から荒畑寒村と同棲し、後に結婚。
赤旗事件(1908年)で投獄。
出所ののち荒畑寒村と離婚、幸徳秋水と同棲し、無政府主義の影響をうける。
1910年、天皇暗殺を密謀したとして起訴される。
■ 「一九一一年」演:堀奈津美(DULL-COLORED POP


【桂太郎】[wiki](かつら・たろう/1848〜1913)
1911年、大逆事件当時、内閣総理大臣。
長州藩、毛利家重臣の桂家の出身。桂元澄などの子孫に当たる。
長州閥で山縣有朋の直系。
陸軍軍人、陸軍大臣を経て、日露戦争当時をふくめ、三回、内閣総理大臣に就任(通算在職日数2886日)。
ほか、内務、文部、大蔵、外務大臣、内大臣など歴任。
1912〜元老。
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」演:綾田俊樹


【大逆罪】[wiki](たいぎゃくざい)
天皇、皇太子等に危害を加えること。その計画を企むこと。
大日本帝国憲法制定後の明治41年(1908年)に施行された現行刑法73条(昭和22年(1947年)に削除)が規定。

条文「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」

1882年から1947年まで存在していた罪。刑法73条。
この法律の特異な点は、犯罪を企んだ時点で罪とされる点。刑罰は必ず死刑である点。
そして、通常の地裁→控訴院→大審院の三審制を取らず、大審院で一度だけの裁判で刑罰が確定する点である。


【睦仁】(むつひと)
明治天皇 [wiki] (在位期間:1867/1/30〜1912/7/30)の御名。
当時の社会主義者達は仲間内では、明治天皇を呼び捨てにしていた。
裕仁(ひろひと)は昭和天皇。


【元老】[wiki] (げんろう)
明治日本の黒幕。
第二次世界大戦前の日本において、政府の最高首脳であった重臣。
天皇の諮問に答えて内閣更迭の際の後継内閣総理大臣の奏薦、
開戦・講和・同盟締結等に関する国家の最高意思決定に参与した。
多くは薩摩・長州の出身で首相経験者、明治維新の功労者。
西園寺公望(1849〜1940)が「最後の元老」

伊藤博文(長州)[wiki] 内閣総理大臣(初代・5・7)、韓国統監府初代統監など
黒田清隆(薩摩)[wiki] (北海道)開拓使長官、内閣総理大臣(2)など
西郷従道(薩摩)[wiki] 元帥海軍大将、など 西郷隆盛の弟

1911年時、在任
山縣有朋(長州)[wiki] 内閣総理大臣(3・9)、元帥陸軍大将、など
松方正義(薩摩)[wiki] 内閣総理大臣(4・6)、大蔵大臣、など
井上馨(長州)[wiki] 外務、農商務、内務、大蔵大臣、など 鹿鳴館を建設

1912年に任命
大山巌(薩摩)[wiki] 元帥陸軍大将など 西郷隆盛、従道兄弟の従兄弟
桂太郎(長州)[wiki] (日露戦争時の)内閣総理大臣(11・13・15)など 
西園寺公望(公家)[wiki] 内閣総理大臣(12・14)、文部、外務大臣など


【無政府主義】[wiki](むせいふしゅぎ)
アナーキズム。19世紀後半から20世紀前半の頃に流行した社会思想。完全に自由で平等な社会を目指し、一切の権威・権力を否定し国家・政府すら不必要としていた。


【幸徳秋水】[wiki](こうとく・しゅうすい)
本名、幸徳傳次郎(こうとくでんじろう)。先駆者的な無政府主義者。
日本で一番初期の社会主義者として活動していたが、米国留学を経て無政府主義に目覚め、日本を代表する無政府主義者となる。


【赤旗事件】[wiki](あかはたじけん)
1908年(明治41年)6月22日に起こった、社会主義者に対する弾圧事件。
集会で数本の赤旗を振り回した社会主義者たちを警官隊が襲い乱闘騒ぎに発展する。
荒畑寒村、大杉栄、堺利彦、管野須賀子、らが検挙される。
政府の社会主義対策の影響で、通常数ヶ月程度の禁錮にすぎなかった判決が、厳罰化し、ほとんどの被告が数年の禁錮と判決された。
裁判長は鶴丈一郎。

事件後、社会主義者に対して融和政策をとっていた、当時の西園寺内閣が総辞職。
山縣有朋による奏上が原因とも言われている。
後継は第二次桂内閣(1908/7/14〜1911/8/30)で、風紀引き締めと同時に社会主義運動を弾圧、出版物の取締強化を行うなか、大逆事件が起こる。


【堺利彦】[wiki](さかい・としひこ/1871〜1933)
文筆業から「萬朝報」の記者を経て、
1903年「平民新聞」を発行、非戦論・社会主義の運動を開始する。
1906年に日本社会党を結成して評議員となり、社会主義運動の指導者として活動。
1908年の赤旗事件により2年の重禁固刑を受ける。
入獄中に「大逆事件(幸徳事件)」が起こるが、獄中にいたため連座を免れる。
1922年、日本共産党(第一次共産党)の創立に参加。
1929年に東京市会議員に当選。


【大杉栄】[wiki](おおすぎ・さかえ/1885〜1923)
思想家、作家、社会運動家、アナキスト。
1906年、新聞紙条例違反で起訴され、以降社会主義運動に関わる。
1923年、関東大震災直後の甘粕事件で殺害される。
主犯とされる甘粕正彦大尉は、その後、満州事変に関わる。


【荒畑寒村】[wiki](あらはた・かんそん/1887〜1981)
明治時代〜の社会主義者・労働運動家・作家・小説家。元衆議院議員。
管野須賀子の前夫(内縁)。
幸徳秋水や堺利彦らが発行する「平民新聞」の編集に参画。
1922年、日本共産党(第一次共産党)の創立に参加。
戦後、日本社会党の結成に参加。
1946年〜衆議院議員2期。


【大審院】[wiki](だいしんいん)【控訴院】[wiki](こうそいん)
現在の最高裁判所・高等裁判所。


【治安警察法】[wiki](ちあんけいさつほう)【新聞紙法】[wiki](しんぶんしほう)
国民の政治活動の制限する為に作られた法律。
治安警察法は集会を、新聞紙法は言論を統制した。
治安警察法は1900年(第二次山縣内閣時)公布・施行。
新聞紙法は1909年(第二次桂内閣時)公布・施行。


【大津事件】[wiki]
1891年、来日したロシア皇太子に対する暗殺未遂事件。
ロシアとの関係悪化・軍事的脅威をおそれた政府は、大逆罪の適用を強く主張、犯人の死刑を求めた。
大審院長・児島惟謙(こじま・これかた/1837〜1908)は政府の干渉をはねのけ、大逆罪の構成要件に該当しないとして、謀殺未遂罪の無期懲役と判決した。
三権分立の意識を広めた近代法学史上重要な事件とされる。


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