2014年10月9日

佐藤佐吉演劇祭2014+ 総評

演劇と街が息を合わせる時 ― 佐藤佐吉演劇祭2014+


 北区の王子で2年に1回の程度で開催される佐藤佐吉演劇祭は今年で第6回目を迎えた。東京の小劇場演劇の中から王子小劇場の職員が選び、自信を持って推薦する劇団の作品を集める演劇祭である。

 6月25日から7月21日までの期間に行われた佐藤佐吉演劇祭2014+は、みどころの多い演劇のショウケースになった。参加劇団の数は今回12組に及び、公演の趣向の幅が広かったことが最大の理由である。それに加えて、複数会場で行われ、一日に複数の公演を同時に行う初の試みでもあった。観客は終演後一つの会場を出て、別の公演を観終わったばかりの観客とすれ違ったり、知り合いでもないのに、観劇がきっかけになって親近感を感じたりするという、演劇のお祭りの時にしか体験できないようなことが観劇体験に加わった。

 それぞれが独特の演劇スタイルを王子で披露した劇団は互いに対してライバルでありながら、演劇の魅力を佐藤佐吉祭の観客に伝える、街を演劇で盛り上げる挑戦には味方だった。各団体の個性が演劇祭に自分ならではの色を添えた結果、濃い色彩の全体風景になったのだ。以下は手短ながら公演を一つずつ振り返って、取り上げたいと思う。

 ナカゴーの『ノット・アナザー・ティーンムービー』は、同名の映画と同じように、アメリカ青春映画の使い古された文句や場面を再構築し、このジャンルのパロディーとして上演する。誰でも見覚えのあるような場面ばかりが観客の目の前で展開していく中、このようなパロディーに親しんでいる目ききにしか味わえない、特権的とでも呼べるようなユーモアがここにあると気がつく。ナカゴーは活気溢れる団体で、演技の面では特別な柔軟性を見せる。今回の公演は北とぴあのお洒落なシャンデリア付きのカナリアホールという特質的な会場で行われたにも関わらず、この団体は自分特有の芝居を上手に最後までやり遂げた。どの会場でも自分の演劇ができる劇団は強い。ナカゴーのユーモアは一見で少し腑に落ちない側面もあろうが、お得意の演劇スタイルをどこまで持って行けるかを見ておく価値がある。

 同期間に北とぴあのスカイホールで公演中だった柿食う客の『へんてこレストラン』は、宮沢賢治の『注文の多い料理店』をベースにして作られた舞台である。「こどもと観る演劇プロジェクト」という企画に添った作品として、子どもにも大人にも見やすいような演劇を志している。しかし、子ども向けだからといって、変に分かり安すぎて、子どもっぽいという感じはしない。演出家の中屋敷法仁は幼い観客の目の鋭さを信じて、「子ども好み」らしい表現を敢えて優先としなかった。歌のような言葉のリズムが振り付けと調和し、その統一性自体が面白味を生じさせる。結果、「へんてこレストラン」は、観客の年齢を問わず、人の心を引きつけるような作品になっている。佐藤佐吉祭がきっかけになり、柿食う客の個性の強い演劇に始めて出合った観客は大きな獲得ができた喜びを覚えるであろう。

 演劇祭の第一週目には、劇団肋骨蜜柑同好会の『つぎとまります・初夏』も上演された。文学的な雰囲気の不条理劇として、ナカゴーと柿食う客の舞台とはまた違う面白さを帯びた作品だった。スランプに落ちた小説家がバスに乗ってこの世界のどこでもないような別次元の場所にたどり着き、そこで流し素麺機で遊ぶ幽霊かのような女性に出会い、彼女とのかみ合わない会話の中で小説家である自分の動機を再びみつける。このハードボイルド・ワンダーランドのような平行世界を連想させる設定には、爽やかな感じの不思議さがある。人間が求めている全ての答えが出ない世界も悪くない、というような、肩の力を抜けさせるメッセージが伝わる。観客は、会場のpit北⁄区域を出てからも、世界が流し素麺機の中の流し素麺機であるという謎に考え込んだまま、不思議な安らぎを与えてくれる芝居に感謝のような気持ちを覚えながら、微笑してしまう。『つぎとまります・初夏』はこの感じの演劇体験だった。

 王子小劇場で演劇祭の初日から上演された犬と串の『エロビアンナイト』は、人を警戒させるタイトルで責めるが、実は極めて純粋なラブコメディーだった。禁止された愛の切なさと、その切なさを乗り越えるための気さくなユーモアを織り交ぜた形が最大の魅力だった。特にエネルギー溢れる演技で深く印象に残るこの舞台は、作り手の想像力を最高度に機能するだけではなく、観客の想像力をもフル回転させる。速度の速い場面転換、セリフ上の速いやり取り、そして何よりも思いもつかないようなサプライズ的な要素があり、今までに犬と串を知らなかった観客は呼吸をするのも忘れてしまいそうな状態になったのではないかと思う。演劇的空間としての王子小劇場の可能性を最大限に使う点も見事だった。何より、大雨の日に劇中にも大雨の場面があること、そしてそこで本当の水が使われることの皮肉極まりなしというようなところも、この劇団にいかにも似合うといえる。演劇の楽しさを露出する犬と串は佐藤佐吉演劇祭2014+「ゴールデンフォックス賞」を受賞した二つの団体の一つであり、これからも注目すべき劇団である。

 犬と串と対照的に同会場の大道具、音響機械、照明を使わずにすみ、それで評判を受けたのは日本のラジオの公演『ツヤマジケン』だった。演劇祭のパンフレットでは「津山三十人殺し」という戦前の殺人事件をモチーフにした作品として紹介されるが、実際は現代のサスペンス小説の舞台化としての雰囲気が強い。緊張感を一瞬も緩まずに展開する物語は、このジャンルの愛好者の期待に充分応えるであろう。劇場の大道具を使わなかった代わりに、強い個性を持つ俳優たちの演技と緊張感に溢れたストーリーを見せ所にした。

 ワワフラミンゴの『映画』は二つの作品からなり、それらを通底するのは不思議で、新鮮な感じのユーモアである。王子小劇場が管理している王子スタジオ1で上演され、現代的でお洒落な雰囲気で印象に残る。

 pit北∕区域で行われたNICE STALKERの舞台『女子と算数』は、機械式計算機の発明を廻る物語と、現代を生きる二人の男女の恋愛物語を、気の利いたユーモアで平行的に展開させる作品だった。算数が赤い糸のようにこの二つの物語を結びつけるが、何よりもその陽気な笑いの要素が特徴的だった。

 次にPit北∕区域を使ったのは、宗教劇団ピャー!!の公演『夏といえば!に捧げる演劇儀式~愛と絶望の夢幻煉獄』だった。宗教劇団ピャー!!は音量の面でも、激しくてむごいヴィジュアルの面でも、いい意味で限度を知らない劇団だ。ショッキングな場面が相次ぐ中、そのカオスの向こうには何か救いがあるかどうか、微妙ではあるが、過剰で衝撃的な演技でしか表現できないことがあるのは確かで、この団体はその辺りのことを徹底的に試みることができる数少ない劇団なのではないかと思う。

 桃尻犬の公演『愛ヲ避ケル』は、愛のあるセックスで感染する病が流行っている世界を描き、そこに住んでいる人たちの間の関係に注目を当てる物語だった。ダイナミックで、思いがけない展開が最後まで続き、観劇体験として面白かった。この作品に見える桃尻犬の特徴を掴もうとすると、まとまった形に落ち着いた終わり方、つまり少しでも正常(正気と読む)を匂わせる結末だと満足できない、というような非常識をとにかく守り抜く作風であろう。非常識というより「異常識」という言葉の方がより相応しいかもしれない。社会のことや人間のことを別の観点から見つめてみないか、という挑戦を投げられたような感覚だった。その挑戦を観客に押し付けるには努力(そして舞台をべたべたにする小道具)を惜しまない桃尻犬は、とにかく変わった存在感を放つ団体で、面白いことに挑戦してみたいと思う観客に特におすすめだ。

 なかないで、毒きのこちゃんの『こんにちわ、さようなら、またあしたけいこちゃん』は、犬と串と並んで、今回の佐藤佐吉演劇祭「ゴールデンフォックス賞」を受賞した。上演時間は3時間40分に及び、一つの舞台の成立過程を見せる作品で、劇中劇のような構成だった。ある演目の稽古場の様子をはじめ、通し稽古、それからダメだしの場面と、休憩を挟んで、もう一度の通し稽古でその舞台を完成に近い形で観客に見せる。それにしても、演劇作品の成立過程を見せるだけではなく、演劇をきっかけとする感動の発生もどうやって起こるのか、観客に肌で体験させる。演出家の指示によって、役者の感情の表現が変わる。そして観客がその過程を目撃させられる。知らないうちに、観客である自分も演出家の指示に従ってしまいそうな状態になる。もっと深い感情を見せるべきだと言われる女優と同様、観客もその感動的な場面に引っ張られ、共感し、つい泣いてしまいそうになる。観劇中の観客の感情は、もう自分のものではないと思えてくる。目の前にある舞台の上で展開している物語にどの程度に夢中になってもいいか、またはそれに対してどのように距離を保てるか、というようなことを考えさせる作品だった。メタ演劇の実験として面白かったし、演劇に関する考察を促す点もこの舞台の長所だった。

 ガレキの太鼓『妹の歌』は口語演劇の現在を代表する作品として佐藤佐吉演劇祭2014+に参戦した。子どもの目で見られた大人たちの、昔思い描いていた将来の自分と本当の今の自分を向き合わせる瞬間の困った立場を描く作品で、現代を生きる大人の心理を繊細に捉える。20代後半を過ぎた観客は鏡の中で自分を見るような感覚を免れないかもしれない。空想的な世界とも、抽象的な要素とも無縁なこの舞台は、今年度の佐藤佐吉祭の風景の中で意外な新鮮味を与えた作品だった。

 サムゴーギャットモンテイプの公演『CQ、CQ、』はいくつかの物語をパッチワークのように結び合い、現代と未来、この世界と異界、地球と宇宙、人の内面世界と人間関係を前提とする外の世界を結びつける野心の高い作品だった。人間とはどうしようもない生き物だということを描くこの物語群の魅力は、その単純さにあるかもしれない。演技の面では、限られた空間を上手に使いこなし、物語がいかにも広い空間の中で展開しているような錯覚を生じさせるのは見事だった。

 以上は12組の劇団が佐藤佐吉祭で発表した舞台の特徴をまとめてみた。作品それぞれの趣向が違い、この中でどのような観客でもお好みの演劇を、少なくとも一つか二つは見つけられそうだ。この意味では佐藤佐吉演劇祭によって観客の目の前で広げられた演劇風景は、東京の小劇場演劇の現在を反映しているといえる。

 しかし、今年の佐藤佐吉祭が観客のために用意したものは演劇にとどまらなかった。演劇祭のパンフレットで王子小劇場の職員に紹介された街のみどころを満喫するのが、この演劇祭りのもう一つの楽しみ方になった。昼の公演の観劇が終わってから、残りの午後の時間を使って北とぴあの展望台に登ったり、稲荷神社までお参りに行ったり、目当ての料理屋さんを探しに街を歩いたりする観客に見えてきたのは、王子という街自体だった。筆者もパンフレットに載せてあったおすすめに添って王子廻りをしながら、この街には潜在的なエネルギーのようなものがあり、人が集まる場所、「盛り場」になりえる要素を持つ街だという感じがした。演劇祭はその潜在的なものを起動できるきっかけとして大きな役割が果せるのではないかと思えてきた。

 街のみどころをアピールすること以外、今年の演劇祭において観劇体験をさらに豊かにする様々な企画があった。特設ブログに各団体の稽古場レポートや他の情報などを載せることがその一つだった。それから特に地方(静岡、岡山、広島)から来た観客に人気の「王子で一日で5本観劇ツアー企画」や、「ひみつきち」という、観客と主宰者または出演者との交流を可能にする場所が施設された。このような企画は、演劇と街を結びつける試みとして、この演劇祭の最大の魅力だったのではないかと思う。演劇の向こうにはやはり街があり、人がいるという確信が得られる。当たり前のようなことだが、普段は多分あまり意識されていないことだ。このような確信を与えてくれた佐藤佐吉演劇祭のこれからの方向を見ておきたいと思う。

ラモーナ ツァラヌ


【筆者プロフィール】
ラモーナ・ツァラヌ(Ramona Taranu)
 1985年生まれ。ルーマニア出身。早稲田大学文学学術院に所属。世阿弥能楽論の研究を中心に、総合的に舞台芸術の研究に取り組む。劇評連載「青い目で観る日本伝統芸能」と日本の演劇を英語で紹介するブログ「鏡は語る」を執筆中。
 

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